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ビーズが沢山並んでいると思い出す~シベリア抑留を経験したおじさん

子供の頃、毎年夏休みは、母の実家近くの千葉県野田市にあるお宅にお邪魔していました。祖父の友人夫婦が住んでいて、子供がいない為、母やその兄弟、そして我々の代のいとこ全員を孫の様に可愛がってくださいました。

広いお宅の中の細い通路の入り口に木製ビーズで出来たのれんがあり、それがなぜかすごく好きで、家に上がらせてもらうとすぐに探し当て、触ってはいけないと言われながらも、こっそり三つ編みにしたりして遊んでいました。すぐに見つかり止めるのですが💦

野田のおじさんと呼んでいた、祖父よりもひと回り年上のそのおじいさんは、シベリア抑留の経験者です。すらっと背も高く、体格にも恵まれ、満州国の警察署長だった方ですが、その輝かしい経歴が却って災いし、他の抑留者よりも更にひどい扱いを受けたと聞いています。

当時の夏は今よりももっとテレビで戦争の特番が放送されていましたが、もしそういう番組が始まったら、周りの大人の誰かが、即座にチャンネルを変えるか電源切っていました。理由はそのおじさんに見せない為です。出かける前に、両親から今日は戦争の話はしちゃダメだよ、とも言われていましたね。

おじさんがシベリアから日本に帰ってきてからの数年間は、話すことも笑う事も怒ることもなく、朝から晩まで何をするでもなく過ごす毎日だったそうです。人ってあまりにも辛い経験をすると、自我が内側のそのまた内側へと抑えられてしまい、それこそが自分を守る唯一のすべになるのかも知れません。

しっかり者でハキハキ話すおばさんとは対照的に、おじさんはとてもシャイですが優しい人でした。ボソッと「お菓子食べた?」と言いながら目の前に置いてくれたり、食べる様子を嬉しそうに遠巻きに眺めているのでした。そして、一同帰る時になると、涙を浮かべて目を真っ赤にしながら「元気でね。また来てね。」というおじさんの肩を元気にポンとたたくおばさんの姿が今でも思い出されます。

ここのお宅のリビングにはソファーの幅と同じ位の、大きな油絵が飾られていました。夕方のオレンジの空の下、風車と畑が遠くまで広がっている画です。唯一、おじさんから主張(←注意)されたのが、油絵を直に手で触ることです。「絵は、離れて見るものだよ、触るものじゃないよ」と諭されました。ビーズののれんで遊ぶのは、それ好きなの?位でしたが、油絵はそうはいかず、全く持って当然ですよね!とんでもない子供がいたものですわ😠

それから今に至るまで、美術館では油絵を目の前に、人よりも率先して一歩下がり、密かにお行儀よくしてしまいます(笑)